本当の私

5月22日の日経新聞の文化欄に作家の木内昇氏の「その本当は本当か」と題する文章が掲載されている。

漱石の坊ちゃんの例を引きながら、社会生活をおくるうえで、生身の自分をさらけだすと様々な衝突がさけられず結構大変である。しかし自分を守ることに重きをおき、上っ面な行いを重ねると、歳をとったとき、発する言葉に温度のない、見所の薄い人間に成り果てる気がする。
・・・もっと滑らかに社会を渡る方法はいくらでもあったろう。例えば、環境にふさわしいキャラを設定、演じることで周囲との軋轢を巧みに回避するような。・・・・抜き身の自分で世の中を渡るのは覚悟がいる。なぜならその道程はどうしたって、恥ずかしいこと情けないこと格好わるいことで埋め尽くされてしまうからだ。・・・けれど存外その失敗にこそ自分らしさが宿っていて、過ぎてみれば妙に愛おしく感じられるのも不思議である。・・・もちろん傷を負うこともある。が、それものちの自分を成長させる糧になったりして、長い目でみれば無駄なことなどひとつもないと心から思えるのだ。・・・「本当の私」を手にいれるべく右往左往している。

「本当の私」を手にいれる。覚悟と意思をもってぶつかるしかないようだ。

投稿者:春田 健2016年5月25日